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【はじめての佐渡観光】(6)佐渡の歴史 覚えておくべき佐渡に流刑された貴族・知識人・文化人

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流刑対象になった有識者

佐渡を知らない人の一般的かつ、悪気のないイメージとして「島流しの場所」という印象が多いように感じます。実際に私の周りもそのイメージが強いようです。

しかし重要なのは、「どのような人が対象とされたか」です。

佐渡に流刑された対象者は、政争に負けた貴族や知識人が反感をかってしまったり、時代の流れが変わってしまったりという、理不尽な理由もあったようです。

佐渡に流刑された人物によって、佐渡の歴史も文化も思想も基盤になりはぐくまれています。今では誰もが教科書で学び、知り得る貴族・知識人・文化人です。

流刑された貴族<順徳上皇>

第84代の天皇に即位された順徳上皇は、父である後鳥羽上皇の院政下では直接政治を執ることはなく、有職故実の研究や和歌などに傾倒したといわれています。後鳥羽上皇による鎌倉幕府の打倒計画に参画し、承久の乱を引き起こしたものの、鎌倉幕府の執権であった北条義時を中心とする幕府軍によって鎮圧され、乱の首謀者として1221年に佐渡に流されました。在島22年、都へ帰ることは許されず、46歳で崩御されました。行在所であった黒木御所や火葬塚である真野御陵など、多くの遺跡や伝説などが残されています。

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真野御陵 

黒木御所跡 

流刑された知識人<日蓮聖人>

日蓮宗の宗祖である日蓮聖人は、地震や飢饉、疫病などの災害が相次いだことから鎌倉幕府の最高権力者であった北条時頼に「立正安国論」という1冊の書を提出しています。この書の中で、相次ぐ災害の原因は、幕府や民衆が邪教を信仰することにあるとし、法華経を信じなければ災いが起こると説き、鎌倉幕府や他の宗教を批判したとして1271年に佐渡に流されました。日蓮上人は塚原の三昧堂という荒れ果てた墓地の小堂に配所され、翌年の4月に市野沢に移されるまで半年間住んでいました。この地で他宗の僧たちと「塚原問答」を戦わせ、「開目抄」を著し、市野沢に移されてからは「観心本尊抄」を著し、初めて日蓮宗の本尊とされる法華曼荼羅を顕されたといわれています。在島3年の後、赦免となり鎌倉へ帰りました。島内には日蓮聖人ゆかりの遺跡や伝説などが数多く残されています。

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根本寺 

妙照寺 

流刑された文化人<世阿弥>

室町幕府の3代将軍足利義満の寵愛を受け、能楽を大成させた世阿弥は、6代将軍足利義教の怒りにふれ、1434年に佐渡に流されました。佐渡の多田に着いた世阿弥は、長谷寺を経て新保の万福寺に配所されましたが、近くで合戦が起きたため、泉の正法寺に移されました。在島中に世阿弥が著した小謡集「金島書」に書かれている元号から、1436年までは佐渡に滞在していたことが分かっています。その後の消息については不明ですが、嘉吉の乱により将軍が暗殺されると配流も解かれ、娘夫婦の元に身を寄せたとも伝えられています。

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正法寺