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佐渡の歴史は奈良時代からはじまります
およそ1万年前から佐渡に人が住みはじめていたという文献があります。
その後、奈良時代にはすでに一国とされ、流刑地に定められた佐渡は、722年に皇室批判を行った万葉歌人の穂積朝臣老を始めとして、1221年に承久の乱で敗れた順徳上皇、1271年に鎌倉幕府や他教を批判した日蓮聖人、1434年に時の将軍の怒りを買った能楽の大成者である世阿弥など、中世までは政争に敗れた貴族や知識人が流されてきました。
佐渡の歴史におけるポイントはこの流刑の対象者「貴族」「知識人」ということです。
そういったこともあり、佐渡には50近くもの寺社仏閣が存在するのです。
江戸時代に栄えた佐渡の産業
平安時代後期の「今昔物語集」にも記録されているとおり、昔から金が採れる島として知られていた佐渡は、江戸時代に入ると、その有望性を見出した徳川家康が幕府直轄(天領)として本格的に金銀山開発を進め、採掘された金や銀が江戸幕府の財政を支えました。
鉱山の繁栄によって日本各地から山師、金穿り、大工、測量技術者、商人、漁業者などが集まり人口が急増し食糧需要が増えたため、鉱山の技術を応用して海岸段丘上に新田開発が行われました。また、鉱山で使用する炭・木材等の生産資材確保のため、山間部の森林も御林(官有林)として奉行所による厳しい管理が行われました。
スローライフ
奈良時代からの貴族や知識人の流刑場所、その結果としての寺社仏閣の数々、そして江戸時代の金銀山開発による人口拡大、と共にさまざまな技術者、職人、専門家等で佐渡の産業は栄え、今でもその伝統的な手法や製法をしっかりと受け継ぐことで、現在では「トキと共生する里山・里海文化」を推進することで、持続可能な目標をしっかりと持ち、佐渡全体で取り組み推進している、という無理なく、逆らうことなく自然と向き合い、成長してきた地域といえます。